さようならValjoux

1.序

「Valjoux」フランス語読みで「バルジュー」、英語読みで「バルジャックス」。

クロノグラフのムーブメントメーカーとして、あまりにも有名である。

ETA社のムーブメントを搭載する時計ブランドの中には、「バルジューの伝統を受け継いだ云々」と宣伝するところもある。

本当に、現在のETA社のクロノグラフムーブメントは、Valjoux社の伝統を継承しているのか?

所有のクロノグラフや、あまり多くない資料を元に推理したい。

 

2.バルジューの発祥

「Valjoux」の語源は、フランス語の「Vallee de Joux」。

「ジュウ渓谷」という意味である。

1901年に、Raymond(レイモンド)兄弟により「ジュウ渓谷」内のレ・ビュに創設された。

当初は「レイモンド社」という社名であったが、

後に「Val de Joux 社」(バルジュー社)と改名された。

社名変更後も、創始者のレイモン兄弟に敬意を払ったのか?

それとも、レイモン一族が会社を経営し続けたためであろうか?

ムーブメントの刻印には、Raymond家の頭文字「R」を流用し続けた。

 

3.バルジューの役割

当初は独立したムーブメントのメーカーであったが、1944年にエボーシュ連合社の傘下と化した。

エボーシュ連合社は、エボーシュ業者(時計部品製造業者)同士の部品の共通化や過当競争をコントロールを目的とした、エボーシュ業界の組合のような持ち株会社であった。

エボーシュ連合社はクロノグラフムーブメントの住み分けを行った。

低価格ムーブはランンデロンとビーナスが製造し、

中価格以上のムーブはビーナスとバルジューが製造することが、原則的に合意された。

注:例外も存在する。例:ランデロン39(高級品)。バルジューのスイングピニオンクロノ(廉価品)。

エボーシュ連合社としては、連合内の製造者同士のバッティングによる共倒れを防ぎ、ムーブのグレードの差(価格の差)で棲み分けることにより、生き残りを意図したのだろう。

 

4.ムーブメント史

1914年Cal.22を開発、その2年後の1916年にCal.23を開発した。

この2つのムーブメントは完成度が高く、特にCal.23は改良を重ね半世紀以上の間生産され続け、バルジュー社の礎を築いた。

1946年にはCal.72Cも開発され、ロレックスやパテック フィリップ等にも搭載された。

1967年に、それまでビーナス社で生産されていたビーナス188をバルジュー7730という名称で生産開始する。

1969年にはバルジュー7730を簡略化し、生産コストを大幅に削減したバルジュー7733系を生産開始した。

バルジュー7733の登場と同時期に、クオーツショックがスイスの時計産業を襲った。

生産コストが高く、需要の低い手巻きクロノグラフのムーブメントの製造は、作れば作るほど企業の赤字を増やすため、バルジュー社は1974年に、Cal.23やCal.72の生産を終了した。

1971年には、ホイヤー・ハミルトン・ビューレン・ブライトリング連合の依頼で、デユボア・デプラツ社が開発した、自動巻きクロノグラフのCal.11のクロノモジュールの特許を購入し、これを手巻きに改造し、バルジューCal.7740と言う名称で製造開始した。

1973年に、バルジューCal.7740を大幅に改造し、バルジューCal.7750の開発に成功した。

Cal.7750の生産開始に伴い、バルジュー社はクロノグラフのムーブメントの生産を大幅に整理した。

1973年Valjoux7730製造中止。

1974年Valjoux72系製造中止。

1978年に、Cal.7750の手巻き版が登場すると、バルジュー7733系も生産中止された。

バルジュー社がETA社に完全吸収後も、Cal.7750は生産が続けられ、多くのブランドが採用している。

ETAに吸収される以前は、バルジューのムーブメントには「R」の刻印が有ったが、ETAに吸収された後は「VAL」と刻印されるようになった。

 

ここで、いくつかのバルジューのムーブメントを紹介する。

Valjoux GHT

作動原理:ピラーホイール式(ピラーの柱は6本)

動力伝達方式:キャリングアーム式

スライディングギア採用

チラネジ有り

耐震装置無し

直径:31.58mm

永久秒針:9時位置

分積算計:3時位置

 

Cal.GHTはスプリットセコンドクロノグラフムーヴメントのValjoux Cal.55やVal.84等の原形となった。

2つ目のムーブとしては、Cal.22やCal.23の方が生産性が良好であったため、GHTの生産数は少なかった。

尚、Cal.22(最初期型)とムーブメントの基盤を共用したため、部品が配置されない穴「バカ穴」が存在する。

Valjoux Cal.22(最初期型)

作動原理:ピラーホイール式(ピラーの柱は9本)

動力伝達方式:キャリングアーム式

スライディングギア採用

チラネジ有り

耐震装置無し

直径:31.58mm

永久秒針:9時位置

分積算計:3時位置

最初期型のため、Cal.GHTとムーブメントの基盤を共用した。

ストッピングレバーとスターティングレバー用のバネが、一つのネジ固定されている。

部品の配置の試行錯誤や生産性の低さがうかがわされる。

Valjoux Cal.22(最晩期型)

作動原理:ピラーホイール式(ピラーの柱は9本)

動力伝達方式:キャリングアーム式

スライディングギア採用

チラネジ有り

耐震装置有り

直径:31.58mm

永久秒針:9時位置

分積算計:3時位置

時積算計:6時位置

 

最晩期型のため、専用の基盤となり、インカブロックも付いた

尚、この時計は12時間積算計付きのためCal.71と呼称された。

Valjoux Cal.23(最初期型)

作動原理:ピラーホイール式(ピラーの柱は9本)

動力伝達方式:キャリングアーム式

スライディングギア採用

チラネジ有り

耐震装置無し

直径29.32mm

永久秒針:9時位置

分積算計:3時位置

バルジュー社で、もっとも成功したムーブメント。

12時間積算計付きのCal.72、トリプルカレンダー付きのCal.72C等、派生ムーブメントが多数有る。

 

Valjoux Cal.72(最晩期型)

作動原理:ピラーホイール式(ピラーの柱は9本)

動力伝達方式:キャリングアーム式

スライディングギア採用

チラネジ無し

耐震装置有り

直径29.32mm

永久秒針:9時位置

分積算計:3時位置

時積算計:6時位置

このムーブメントは12時間積算計付きのCal.72。

Valjoux Cal.77(レストア中)

作動原理:ピラーホイール式(ピラーの柱は7本)

動力伝達方式:スイングピニオン式

スライディングギア採用

チラネジ有り

耐震装置有り

直径29.32mm

永久秒針:6時位置

分積算計:12時位置

ビーナス170と同様の、縦二つ目クロノグラフ

スイングピニオン式を採用しハリガネ型バネを多様。

廉価版であったことがうかがえる。

Cal.77の横二つ目版がCal.92である。

バルジューで廉価版のムーブメントを作成する必要にかられ開発された。

後にCal.7733の製造開始時に、Cal.77とCal.92は生産終了した。

レストア中のBOVET。

Valjoux製の縦二つ目は、非常に珍しい。

Valjoux Cal.92

作動原理:ピラーホイール式(ピラーの柱は7本)

動力伝達方式:スイングピニオン式

スライディングギア採用

チラネジ有り

耐震装置無し

直径29.32mm

永久秒針:9時位置

分積算計:3時位置

 

Cal.77の横二つ目版

バルジューで廉価版のムーブメントを作成する必要にかられ開発された。

後にCal.7733の製造開始時に、Cal.77とCal.92は生産終了した。

Valjoux Cal.92を搭載した時計。

Valjoux Cal.7733(初期型)

作動原理:カム式

動力伝達方式:キャリングアーム式

スライディングギア採用

チラネジ無し

耐震装置有り

直径:31.58mm

永久秒針:9時位置

分積算計:3時位置

カレンダー表示付きは7734、12時間積算計は7736。

スイス本国では1978年に生産終了した。

しかし、その構造を真似たPoljot3133はロシアでも生産されている。

さらに、7733の製造機械とライセンスをHMT社が買収し、インドで現在も生産されている。

基盤の刻印は[R]

Valjoux Cal.7750

作動原理:カム式

動力伝達方式:スイングピニオン式

スライディングギア無し

チラネジ無し

耐震装置有り

直径30mm

永久秒針:9時位置

分積算計:6時位置

分積算計:12時位置

基盤の刻印は[VAL]

おまけ

MIDO Cal.1300

作動原理:ピラーホイール式(ピラーの柱は9本)

動力伝達方式:キャリングアーム式

同軸クロノ

チラネジ有り

耐震装置有り

直径29.32mm

永久秒針:無し

分積算計:センター位置

MIDOもマルチセンタークロノグラフは、ValjouxCal.VZを原形としている。

5.ムーブメント比較

Cal.GHTとCal.22の比較:

基盤が共用されているが、ピラーホイールの柱の数が異なる。

Valjoux Cal.GHT

Valjoux Cal.22(最初期型)

新旧Cal.22の比較:

部品だけでなく、基盤も変化している。

Valjoux Cal.22(最初期型)

Valjoux Cal.22(最晩期型)

MIDO1300とValjoux Cal.GHTの比較:

MIDO1300の原形はCal.VZである。しかしCal.VZは所有していないため、Cal.GHTと比較する。

MIDO1300がValjouxムーブメントを元に開発されたことがわかる。

MIDO1300

Valjoux Cal.GHT

Valjoux Cal.72(最晩期型)とValjoux Cal.7733(初期型)の比較:

両ムーブメントがまったく異なることがわかる。僅かな期間であるが、同時期に両ムーブメントは生産されたが、次第にCal.7733の生産数が増え、Cal.23とCal.72は生産終了した。

Valjoux Cal.72(最晩期型)

Valjoux Cal.7733(初期型)

Venus Cal.188とValjoux Cal.7733の比較:

Cal.7733はCal.72よりも、Venus Cal.188に構造が近いことがわかる。

Venus Cal.188(ガラ)

Valjoux Cal.7733

POLJOT.3133とValjoux Cal.7733の比較:

POLJOT.3133はValjoux Cal.7733のコピーであることがわかる。

POLJOT.3133

Valjoux Cal.7733

6.その評価

ロレックスやパテックフィリップを始め、多くのブランドでCal.23とCal.72は採用された。

半世紀の間、改良が続けられ、無理な作りが少なく、信頼性が高い故に多くのブランで採用された。

自動車レースで言えば、フォードのコスワースエンジンのように、とても汎用性が高かったのであろう。

Cal.23と72の評価が高いためか、両ムーブメントを採用した時計は、値段もやや高い。

しかし、いくらCal.23や72とは言え、低いグレードの物はろくでもないものも有り、一概に「Cal.72だから良い」とは言えない。

 

7.ピラーホイール式からカム式へ

機械式時計の冬の時代の時期に、カム式クロノグラフの技術を有しないバルジュー社は、ビーナス社のCal.188を名称を変えて、Cal.7730として製造した。

その後Cal.7730を元にCal.7733を開発したことにより、Cal.23やVal.72は生産終了した。

自動巻きムーブメントについては、デュボア・デプラツの開発したクロノモジュールを元に、Cal.7750を開発した。

 

8.バルジューの伝統はどこに行ったか?

現在も[VAL]の刻印が押されているETA Cal.7750は、外部のデュボア・デプラツの技術が元である。

又、1978年迄製造されたCal.7733系もビーナスの末裔でしかない。

つまり、Cal.23やCal.72の製造を終了した時点で、レイモンド家から綿々と継承されてきた技術と伝統は、断絶してしまったと言っても過言ではない。

 

9.終章 刻印は語る

かつて、エボーシュ社傘下のバルジュー社には、独立独歩の風潮が有り、製造したムーブメントには[R]の刻印が有った。

ETA社への吸収後は、バルジュー社は会社組織ではなく、ETA社の一部門と化した。

ムーブメントの刻印も[VAL]に変化した。

確かに、ETA7750は、かつてのバルジュー社の工場で生産されている。

でも、私はそれをバルジュー7750と呼ばない。

なぜなら、[R]の刻印の無いそのムーブメントには、バルジューの伝統が受け継がれていないからだ。

バルジューの名は残った、しかしバルジューの伝統はもうどこにも無い。

さようなら、Valjoux。

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あなたは人目の、それでもバルジュが好きな方です.

1999/10/24 ベータ版UP
1999/11/1 Valjoux.77搭載時計UP:Valjoux.92画像UP(資料協力yassan)
1999/11/4 「5.ムーブメント比較」にPOLJOT3133追加
2000/10/23 Valjoux7730、7733系等の情報を更新。

 


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